全日本剣道連盟制定居合

 明治維新後、文明開化によって「居合」は剣道とともに衰退していきました。その後、剣道が西南戦争(1877年)で息を吹き返したのにかかわらず、居合はかつて70余流もあったものが、わずか20余流を残すのみとなりました。

 終戦を迎え、GHQにより日本刀が没収され、一時、武道禁止の時期を迎えることとなります。しかし、昭和27年(1952年)の剣道復活により、「居合道」も再びよみがえりました。

 昭和40年代(1965~1974年)となると、少年剣道ブームにより試合が盛んになるにつれ、剣道が日本刀から離れ、刀法を無視した「スポーツ剣道」と批判されるようになります。

 そこで全日本剣道連盟では、剣道をする人が居合道を学ぶことで形の操法を学べるようにと、居合道の形をつくったのが「全日本剣道連盟制定居合」です。古流の居合を元にして考えだされたもので、独自の動作を振り付けたものです。現在12本の形があります。

 元は、剣道をする人のために作った「全日本剣道連盟制定居合」ですが、打ち合う剣道とは違った魅力を見いだす人も多く、中高年者、女性などが、剣道よりも気軽に取り組める武道として「居合」を志す例が増えています。