田宮流居合術

「美の田宮」「位(くらい)の田宮」と称えられた居合の流派

 田宮流居合術は、約400年前、田宮平兵衛業正を流祖として伝わった徳川紀州藩(和歌山、三重)の武芸で、居合唯一の無形文化財です。田宮平兵衛業正は、居合の祖と呼ばれる林崎甚助の高弟として、林崎流の居合を継承しますが、後に「田宮流」と称されるようになります。

 田宮流には、「古田宮」、「紀州田宮」、「新田宮」の三流派がありましたが、古田宮は絶え、紀州田宮が正伝となりました。

 この紀州田宮流が伊予西条藩(愛媛)に伝わり、田宮神剣流となり大成し、現在の田宮流居合術となりました。伊予西条藩は紀州家の分家であり、紀州大納言頼宣の次男、頼純が藩主として寛文10年(1670年)2月に入部以来、紀州田宮流は西条で発達し、現在も伝承されています。

 田宮流の特徴は、美しい所作から「美の田宮」「位(くらい)の田宮」と言われます。「表の巻」11本、「虎乱の巻」14本からなり、形を基本として統一された刀術です。居合の源流である林崎流とは異なる部分も多く、江戸時代に、立膝から正座の居合へと変化、戦場の抜刀術から武士の嗜みとしての武術と変わるにつれ、変化していったと考えられています。